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自我を殺せ

道具:アネロスSGX
時間:1時間半
体調:やや睡眠不足
満足度:65%
妄想:キス


GW明けて一人の時間ができたので、早速アナニーに勤しむことにした。

今日はネット小説で気分を高める。
DMMのキャンペーン期間に動画も買ったのだが、三次元の気分ではなかった。
まあ、一年の八割程度は二次元の気分なのでしょうがないね。
ただ、読んでた小説が途中でエロから深い話(めいた、よくわからない話)にシフトしてしまって盛り上がりとしては今ひとつだった。

三年もアナニーを続けて未だドライオーガズムに至れていないと、「このまま続けていつか成功するのか」という疑念が当然湧いてくる。
確かにアネロスを入れるのは気持ちいいが、これを積み重ねて本当に絶頂に届くのか。
そう思って、昔読んだサイトや本をGWに読みなおしたりしていた。


自分のオーガズムイメージに強く影響しているのが、プラトニック・アニマルだ。


男としてこうあるべき、というような社会的強制力から解放される。
自我を守ろうとせず、快感に身を任せる。

わかっちゃいるけど難しい。

今回は「自我」をどうこうしてやろうという意識があった。
自我というと、気分が乗ってきたら日常の悩みを囁いてきたり、音楽を頭のなかでリピートしだしたり、妄想をあらぬ方向へと引っ張って行ったり、とにかく没頭の邪魔をしてくるあいつのことだ、と思っている。

なるほど、自我は死にたくないのかもしれない。

オーガズムが自我の死ならば、快感への没頭がそれに必要ならば、自我がそれを妨害するのも当然かもしれない。
だから自我は快感をコントロール下に置こうとしてくる。
ドライオーガズムの手引で「呼吸が~」とか「筋肉が~」とか言っているのは、あるいはこの自我の快楽に集中させまいとする企みの一つなのかもしれないとすら思い始めた。

今日は「自我」を殺すことを意識した。
いや、後でこう書いたものを見なおしていると、「殺す」では言葉が強すぎるかもしれない。
自我にはちょっと眠っていてもらうとか、そういうニュアンスが好ましいのか。

理想は、ともかく、心に浮かんでくるものを阻止する。
何も考えない。

こう書くとまるで瞑想だ。
ドライオーガズムと瞑想の親和性は高いような気がするが、あいにく自分はそのどちらも習得していないので何も言えない。

実際問題、何も考えないというのは難しい。なによりオナニーなので、気持よくないのは本末転倒だ。
だから思考は極力、快感に向けることにした。
浮かびかけた言葉を、「気持ちいい」で塗りつぶしていく。
気持ちいいを自我のフィルターにかけず、素通りさせる。

すると今回は、なんと言えばよいか、意識のあり方が変わったような気がした。
自律訓練法で「これが変性意識かな~」と思っていたのと少し似ている。
思考が空白になって、小さくなった自分がそこに浮いているような感じだ。

これでドライオーガズムに近づいているのかはわからないが、こういう状態に至れたのは一つの収穫だったと思う。
明日か明後日にはまたアナニーできそうだし、またこの方向性で試してみようと思う。

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